TODAY'S HOT
  • 2003年10月4日 松井稼頭央(西武)が通算150本塁打を達成。 (vs.ロッテ)
  • 2012年10月4日 福地寿樹(ヤクルト)が通算250盗塁を達成。 (vs.広島)
  • 2011年10月4日 和田一浩(中日)が通算1500試合出場を達成。 (vs.広島)
コラム COLUMN

ついに50代のプロ野球選手が誕生!山本昌の功績を振り返る タイムリーdata vol.53

多田 周平

 NPBの長い歴史で初めて、50歳のプロ野球選手が誕生しました。今日8月11日に50歳の誕生日を迎えた中日・山本昌です。1983年のドラフト5位で入団してから中日ひと筋、プロ32年目。今回は大ベテラン左腕の功績をあらためて振り返ってみたいと思います。

一軍デビュー~プロ初勝利(1984~88)

 山本昌広の一軍デビューは今から29年前の86年10月16日、神宮でのヤクルト戦でした。この日は広沢克に一発を浴びるホロ苦い初登板となり、この一戦の登板のみでシーズンを終えます。翌87年もリリーフで3試合とどまりましたが、88年に転機が訪れます。それがドジャース1A・ベロビーチへの野球留学でした。

 この米国の地で山本は、後に彼の代名詞ともいえるスクリューを習得すると、25試合に登板し13勝7敗、防御率2.00の好成績を収めます。そのままメジャーでのプレーも考えられましたが、中日に復帰。シーズン初登板でプロ初勝利を記録すると、そこからは先発も務めるなど一気に5連勝。2完封もマークするなど成長した姿を見せ、チームの6年ぶりの優勝に貢献しています。

ローテーション定着~初の個人タイトル(1989~93)

 元号が昭和から平成に変わった89年、山本はシーズン途中から先発に定着。開幕4連敗のスタートも、その後は順調に白星を重ねて8月までに9勝をマークします。9月は0勝3敗と失速し、初の2ケタ勝利は逃すも、チーム2位の投球回数を記録するなど首脳陣からの信頼を勝ち得ました。翌90年には10勝をマークし、92年に13勝、93年には野村弘樹、今中慎二と並ぶ17勝を挙げ、最多勝に輝きます。同年は防御率もリーグトップで、タイトル2冠。リーグ屈指の左腕へと成長を遂げました。

沢村賞、そして「山本昌」誕生(1994~98)

 プロ11年目の94年は、山本のキャリアハイともいえるシーズンとなります。29試合のうち、約半分の14試合で完投。平均投球回7を超えるタフネスぶりを発揮して先発陣の柱を務めました。シーズン終盤には4試合連続完投を含む7連勝をマークし、前年を上回る19勝で最多勝に。2年連続の最多勝は球団では権藤博(61、62年)以来の快挙でした。チームはシーズン最終戦の大一番、“10.8”で敗れて優勝を逃すも、沢村賞、ベストナインを獲得する充実のシーズンを送っています。

 95、96年は故障の影響で2ケタ勝利はならずも、97年には18勝を挙げて復活。球団史上初となる3度目の最多勝に加え、最多奪三振のタイトルにも輝きます。

 ちなみに山本は96年から登録名を現在も使用している「山本昌」に変更。91~95年は山本保司がいたため表記上は「山本昌」でしたが、この表記で活躍したという縁起をかつぎ、チーム内に山本が一人になってからも使用しているとのこと。もし登録名を変えていなかったら再びタイトルを獲得できたのか…、と思わせるエピソードです。

2度目のリーグ優勝と、30代で得た安定感(1999~2003)

 99年は山本にとって2度目のリーグ優勝。自身は8勝の成績にとどまりましたが、防御率はリーグ3位の2.96をマークします。さらに翌2000年は11勝を挙げ、防御率はリーグ2位。2年連続で防御率2点台は、20代では達成できなかった記録でした。

 ちなみに山本が90年代にマークした勝利数はNPB4位となる109勝。セ・リーグの投手では巨人・斎藤雅樹に次ぐ2位でした。この年代のリーグNo.1左腕といっても過言ではないでしょう。

最年長ノーヒットノーラン!年齢も話題に(2004~2008)

 落合監督が就任した04年、山本はチーム2位の13勝を挙げてリーグ優勝に貢献します。40代に突入した05年は7勝にとどまりましたが、翌06年は、9月16日のナゴヤドームでの阪神戦でノーヒットノーランを達成。四死球0で、エラー1個だけという快投でした。41歳1カ月での快挙は、史上最年長記録。この大記録を境に山本の登板では「最年長」の記録もついてきだします。

 そして08年には通算200勝に到達。42歳11カ月での達成は、もちろん最年長記録でした。

途絶えた記録と、54年ぶりに塗り替えた新記録(2009~2013)

 10年は8月に一軍初登板を果たすと、そこから一気に5連勝。中でも4勝目となった9月4日の巨人戦は完封で飾りました。45歳での勝利は浜崎真二、工藤公康に次ぐ、3人目の記録ですが、この年齢での完封は史上初でした。
 しかし翌11年は右足首を痛めた影響で、一・二軍での登板機会なし。連続勝利記録が23年でストップし、NPB記録として並んでいた工藤公康を抜くチャンスを逸しました。

 17年ぶりに高木監督が復帰した12年。山本は開幕ローテーション入りし、2年ぶりに一軍マウンドに登りました。そして4月30日のDeNA戦で、通算212勝目をマーク。これは杉下茂の球団記録211勝を上回る、54年ぶりの新記録でした。

プロ野球記録更新と、史上初の50代登板へ(2014・15)

 登板するたびに「最年長記録」がついてくる山本。そして14年、ついに浜崎真二の48歳10カ月での出場記録と、48歳4カ月での勝利記録を更新します。前記録保持者の浜崎は45歳でプロ入り(選手兼任監督)という、こちらも現在では考えにくいルーツの持ち主ですが、そんな浜崎の記録もついに更新してしまいました。
 迎えた15年。8月9日の登板は左人さし指を突き指するというアクシデントで2回途中での降板となってしまいましたが、再びコンディションを取り戻せば史上初の50代登板が見えてくるでしょう。

 この年齢まで現役を続ける理由を、「しつこいから」と語る山本。前代未聞の50代登板を目指して、再び“しつこい”挑戦を続けてほしいです。